発達障害が辛すぎるのであえて良かったことを考えてみたら意外とあった

いやー、言ってみたい。「最近の若い子は」とか言ってみたい。私なんかその最近の若い子に迷惑かけまくってるからね。むしろ若い子に怒られてれる。私は信じられないくらい仕事ができないんですよ。

というのも、私はADDの傾向が強い(ウィスクで診断済み)ということで、そもそも会社勤めが向いてない。さらに今の仕事は発達障害には鬼門のマルチタスクであり、おまけにチームワークが必要。自分のうっかりミスが直接お客様や他のスタッフの迷惑になってしまうというADDにとっては地獄のような仕事内容なんです。よっぽどのことがない限り発達障害の診断というのは下りないらしいんですけど、仕事中の私を見てもらえば診断が下りる自信ある。

もうね、毎日地獄。仕事終わった後でそういえばあれやってなかった!と思い出すこともあるし、休みの日も昨日ミスしてなかったかな?と気になってしまって気が休まるときがない。

気をつけても気をつけてもミスが減らなくて、私はもう自責の念に堪えられなくなりつつある。自己肯定感は過去最低。

そんなポンコツ野郎の私が生きてくために発達障害で良かったことむりやりひねり出してみた。

1. ほとんどの人が自分よりすごいので誰のことでも尊敬できる


私は自分がポンコツだという自覚があるので、誰にでも敬意を払うことができる。子育てという途方もなく大変なことをしている世のお母さんたちや、定年まで会社勤めをしているサラリーマンなんて神の域である。フリーターだって働いているだけエラいと思う。コンビニなんていう大変な仕事を異国でちゃんとできている外国人アルバイトに対しては毎朝感心してしまう。今の仕事を始めてからは事務員まじリスペクトである。
世の中に尊敬できる人がたくさんいるというのは素敵なことである。どんな人からも学ぶことはあるし、恋愛対象も広がる。自信がないのは問題だがいつでも謙虚でいられる自分がけっこう好きだ。

2.他人に対してあまり腹が立たないし、イライラもしない

働いていて思うのだが、みんなちょっとイライラしすぎだと思う。スタッフのほうもお客さんのほうも。私は基本あまりイライラというのはしない。ドンくさい店員を見ても、空気を読めない奴がいてもイライラしない。まあ、そういう人もいるよねぐらい。むしろ私だけじゃなかったと安心するくらいである。
人はミスするものだし、どうしても普通の人より能力的に劣る人もいる。イライラしてもしょうがない。むしろ自分がイライラすることで相手がさらなるミスをする可能性だってある。 

それなのにみんなどうしてこんなにイライラしているのか?

みんな自分の思い通りにならないことに関して耐性がなさすぎるんだと思う。

自分の思い通りのサービスじゃないと気がすまない、自分の思い通りに物事が進まないと気がすまない。ADDの私からしたら自分の思い通りにならないことなんて当たり前。そんなことでいちいち腹を立ててるほうの頭がおかしいのである。他人も自分もコントロールすることなんてできない。諦めにも似た悟りを普通の人にも身につけてほしいものである。

 

3.出来るようになるまで異様に時間がかかるので、出来たときの達成感がハンパない

 

どうしようもなく物忘れがひどい私は仕事が出来るようになるまで、普通の人の5倍は時間がかかる。もはや私が先に潰れるか、周りの人が先に潰れるかの根比べである。
やっと出来るようになったかなと安心した矢先、また同じ失敗をしてしまう。仕事に慣れるという感覚がまったくない。

 

しかし人より膨大な時間と手間をかけて仕事が出来るようになったとき、私達は普通の人が味わうことの出来ない喜びを味わうことができる。その仕事は普通の人からしてみたらなんてことはない普通のことだろう。でも私のような発達障害ぎみの人間とって、それは人生に置ける一つの大きな壁を乗り越えたことになるのだ。誰かが何気なく言ってくれた「最近ちょっと出来るようになってきたね」という言葉が泣けるほど嬉しい。

 

人よりも苦労して壁を乗り越えることの出来た人は意外と仕事が続いたりする。こんなに苦労して出来るようになったのに辞めてしまってはもったいないし、新しい仕事でまた一から途方もない道のりを歩くなんて気が遠くなるから。仕事をできない人を育てるのを時間の無駄とすぐに切ってしまうのはもったいない。人より不器用な人が一人前になったとき、育て上げたほうの感動も倍だと思うからだ。

 

4.偏見がなくなり視野が広がった

 

私が発達障害の検査を受けたのは今年、今の仕事を始めてからでした。自分が発達障害では?と疑い始めてからは発達障害について様々なことを調べたり、発達障害者のブログをたくさん読み、自分と同じ苦しみを抱えている人がこんなにたくさんいることを知りました。

精神科という場所にも初めて入りました。入る前は失礼ですが明らかに病んでいる人や頭のおかしい人がいるイメージでした。でも待合室にいるのはみんな普通の人ばかりでした。今時精神科や心療内科にかかることはそんなに珍しいことではありません。とても生きにくい社会だから。精神科に通っている人=頭のおかしい人・精神的に不安定な人ではなくて、精神科に通うくらい頑張っている人だと思うようになりました。

 
私は特に仕事の面で、空気を読んだり、見るだけで状況を判断するというのが苦手です。ゆえに非常識と思われてしまうことも少なくありません。私が今まで出会った人たちの中にもそういう人がいたかもしれない。私がこの人感じ悪いなと思っていた人だって人知れず悩んでいたり、傷ついていたのかもしれない。視野が狭くてなかなか気が回らなかっただけかもしれない。中には単に性格の悪い人もいただろうけど、私はこれからもたくさんの人に出会っていかなければなりません。だから世の中にはこういう性質の人がいるということを知っておいて本当によかったと思う。これは私が自分が発達障害では?と疑わなかったら一生知ることがなかったことかもしれません。

発達障害は白と黒でわかれているわけではなく、グラデーションのように濃いか薄いかでわかれているのです。だから誰しも発達障害の要素を持っているのです。完璧な人間なんていないんですから。他人事なんて思わずにぜひ義務教育でも取り上げていただきたいですね。

5.期待もされないし友達もできないので楽といえば楽


これは人によってはつらいですよね。私も最近までつらかったです。一人だけ定時で帰る気まずさよ。
でもよく考えたら私そんなにバリバリ働きたいわけではないんですよね。今は全然人並み以下ですが、人並みに最低限のことができてればいい。私はシフト制の仕事なんですが、明らかに他の人より休みが多い。私は体力がないので申し訳ない気持ちよりも楽したい気持ちのほうが勝ってしまう。辞めたくなったらそんなに引きとめられることもないだろうし。

職場に友達はいないので、職場の誰ともラインを交換してない。ものすごくアットホームな職場でだ。私以外のみんなはもちろん交換している。
最近はそんなこともどうでもよくなっている。仕事以外で職場の人と連絡取るのはともかく、休日に遊びに行くなんて絶対イヤだ!職場での人間関係は浅いに限る。どうせ職場を辞めれば終わってしまう間柄だ。いじめられなければもうそれでいいのだ。

6.得意不得意の差がありすぎるので、自分の適職について死ぬ気で考える

とにかく私はやれることとやれないことの差が激しいので、適性というのは死活問題である。ウィスクの結果、私の一部の能力については障害者のボーダーラインを切っていた。よくこれで今まで生きてこれたなと驚愕した。私のADDの特性を説明ざっくり説明すると、「仕事は覚えられないけど、興味のあることは記憶できるし集中できます」というものである。我ながらクズである。人にものすごく説明しずらい。

私が発達障害の検査を受けようと思ったきっかけは、今の職場の上司に「私は適性がないみたいだから辞めたい」と伝えたときに「それは甘えだよ」と言われたことだった。上司は私に乗り越えてほしいという優しさで言ってくれたのだけれど、私は本当にそうなのかな?と思ってしまったのだ。出来ないことは出来ないと言うのは悪なのかな?努力ではどうにもならないこともあるということをもっとみんな知ってほしい。

そんな訳で私は私の天職について長い時間考えていたのだけれど、そもそも働きたくないという結論に行き着いた。このブログを始めたのも、文章を書くことでお金を稼ぐことって出来ないのかな?と思ったからである。私は文章を書くことは全く苦にならないし、好きな喫茶店で好きなラジオを聴きながら書いているので労働という意識は全くない。むしろ趣味でやっている。

私が器用で割とどんな仕事でも適応できるタイプだったら、何の疑問も持たずに働き続けていただろう。本当は働きたくないという気持ちに蓋をして。好きなことしか出来ないというのは、実は1番のメリットだと思う。



長々と書いてみたけれど、書いてみたところで私が仕事が出来ないという現実が変わるわけではないし、私がまだ軽度なほうだから書けただけかもしれない。世の中には私よりもっと重い人もいて、私が書いたことなんて気休めにもならないくらい苦しんでいる人もたくさんいる。
でも書かずにはいられなかったのだ。
自分を責めてしまう人が1人でも減りますようにと願って。